FXのペソの話ばかりしてますので、ちょっと閑話休題。競走馬の話をします。今回は悲運の名馬『流星の貴公子』ことテンポイントを紹介。今の競馬ファンでも知らない人の方が多いかな?おっさんな僕でもテンポイントを生で見ていたのは小学生の時、1976年と1977年。でも競馬ファンでテンポイント知らないってのは滅茶苦茶損してると思う。何故ならテンポイントは日本競馬史上最もドラマチックな生涯を送った馬。そして最も関西人に愛された馬。テンポイントの悪口言う関西人にはお目にかかった事がない。僕は有馬記念というとテンポイントの事を思い出す、必ずね。FXの話からは相当脱線するけど競馬好きで暇な人は読んでみて。

宿命編

テンポイントを語るためには、実は生まれる前の事から話さないといけない。テンポイントのおばあちゃんの話からね。世に言う『クモワカ事件』からです。テンポイントがドラマチックな馬なのは3代前からドラマが始まっていたからなんだ。ドラクエⅤみたいな感じ(笑

テンポイントの母の母、クモワカは、重賞こそ勝ってはいなかったけど、32戦11勝、桜花賞2着、菊花賞4着というそこそこな成績を残していた。今で言う所の4歳の夏。まだ現役。ちょっと体調を崩して発熱した(競馬では『熱発』という、豆ね)。クモワカを診察した京都競馬場の獣医師は馬伝染性貧血症(通称『伝貧』)と診断する。え?マジですか?この伝貧っていう病気、馬にとっては不治の病と言われていて伝染性なもんだから感染すると速攻で薬殺処分しなければならないっていう洒落にならない病気。だから伝貧の診断ってのは馬にとって死刑宣告と同じ。今だと狂牛病みたいなもの。

で、クモワカにも薬殺処分命令が出されたんだけど、なーんか様子がおかしい。診断後から日に日に回復していったんだ。本当の伝貧ではありえない。一週間後にはすっかり元気になっちゃってさ。こりゃおかしいってことで、馬主と厩舎関係者一同でなんとか薬殺処分を免れるよう色々手を尽くす。大学の獣医学部の検体にするからって嘘言って時間を稼いだり。一説にはクモワカの世話をしていた厩務員がクモワカを連れて北海道まで歩いて逃げたって話もあったくらい(これは都市伝説)。関係者はクモワカを助けるために本当にあの手この手を尽くした。そして何とか再診することにこぎつけて、伝貧判定が陰性となったためかろうじて薬殺処分は免れた。ふーっ、やれやれ。で、現役を引退してクモワカは繁殖牝馬になったんだ。

ところがどっこい、生まれた子供達がサラブレッド登録できなかった。一度殺処分が出されていて記録上は死んだことになってたから、その後に生まれた子供達はサラブレッドとして認められないっていうのが日本軽種牡馬協会の見解。登録が認められないと勿論レースにも出走できないし、さらにその子孫もサラブレッドって認められない。だからクモワカの子孫は全く残らないことになる。クモワカもその子達(当時3頭いた)も馬肉決定っていう悲惨な末路。

でその後、裁判にまでなって。東京地裁の一審ではクモワカ陣営が敗訴。判決文は読んでないので理由は知らない。クモワカ陣営はもちろん控訴。ところが・・・、生産者協会や馬主仲間達の援護射撃(早い話が裏からの圧力)もあって、急転直下、クモワカの子供達の登録が認めらることになった。これでクモワカもクモワカの子供達も助かった。で、登録が認められるようになってから生まれたのが『ワカクモ』。クモワカ→ワカクモって、ロッポンギ→ギロッポンみたいなパターン(笑)。でも、現役途中で誤診のため引退させられたばかりか、人間の決めたルールで何度も殺されかけた母の無念を晴らすための期待の娘だったんだ。

で、このワカクモ、デビュー当時から有名馬。みんなクモワカ事件を知ってたからね。そしてワカクモ、何とか頑張って桜花賞に出走することになった。母が2着で涙を飲んだ桜花賞にね。で、大接戦の末、何と勝っちゃったんだな。小説やテレビドラマにしたら出来過ぎ感満載な展開だけど、事実は小説より奇なりってこの事。ちなみに、牝馬にとって生産者から一番評価されるレースって今も昔も桜花賞なんだよ。オークスや天皇賞じゃないんだ(この辺の理由は別の機会にね)。その一番大事な大事な桜花賞で、母と厩舎関係者、牧場関係者の無念を晴らしたって訳なのね。孝行娘なんだな、ワカクモ。

このワカクモの息子がテンポイント。クモワカから始まって、運命の悪戯に翻弄されながら、ドラマチックに生きることを宿命づけられた希代の名馬が誕生したんだ。

失意編

生まれる前からドラマチックな馬だったテンポイント。しかしそれはほんの序章に過ぎない。本当のドラマは彼の競争生活が始まってからだ。

テンポイントほど関西人に好かれた馬はいない。明石家さんまや競馬実況で有名な杉本清もテンポイント大好き。さんまはテンポイントのお墓参りまでしてる。これ程までに好かれたのにはもちろん理由がある。

テンポイントはデビュー当時から注目度満点。クモワカの孫であり、桜花賞馬ワカクモの子だからってのもある。が、単純に滅茶苦茶強かったんだ。実はその頃の関西馬って、今と違って関東馬に比べると明らかに弱かった。ダービーもずーっと何年も勝ててなくてさ。だから関西の競馬ファンはずーっと悔しい思いをしてた。そこに登場したのが抜群に強いテンポイント。しかも、額の綺麗な流星(お顔の白い模様)と明るい栗毛の馬体の美しさから『流星の貴公子』と呼ばれた程の超イケメン(クモワカ事件から『亡霊の孫』と言われたこともあったが)。『流星』というのはテンポイントを指すキャッチコピーとなっていた。関西の競馬ファンは、この馬ならダービーを勝ってくれるかもってスンゲー期待したんだ。

関西馬達の今でいう所の2歳のチャンピオンを決めるレース、阪神3歳ステークスっていうのをテンポイントが圧勝する。っていうか、勝つことは分りきってたんだけど、それはそれは滅茶苦茶強いレースをした。そのレースで杉本清さんの実況が凄かった(笑)。テンポイント以外の馬の名前をほとんど言わない。道中はテンポイントが今どこにいるかばっかり。そして最後の直線ではもうテンポイントの名前を連呼(笑)。そして出たのがゴール直前のこの名実況。

『見てくれこの脚(あし)、
 見てくれこの脚(あし)、
 これが関西の期待
 テンポイントだー!(キリッ』

杉本さんのドヤ顔が目に浮かぶようだね。どんだけテンポイントが好きで好きで期待してたか、幼稚園児でも分るほどの依怙贔屓な実況(苦笑)。今まで相当悔しい思いをしてたんだろう。一気に弾けてしまったようだ。

そんな無双のテンポイント、皐月賞トライアルのスプリングステークスにも勝って意気揚々と皐月賞へと駒を進める。当然の1番人気。誰もがテンポイントが勝つと思った。特に関西の人は勝つのは当たり前で、どれだけ強い勝ち方をするかってことの方に興味が。下手したら5馬身位ブッ千切っての圧勝なんじゃね?って感じ。負けることなんて微塵も想像してなかったと思う。ところが・・・。

何と皐月賞の最後の直線で、そのテンポイントの遥か5馬身先を走る快速の関東馬がいた。無傷とは言えデビューからたった4戦目。その馬こそ、この後テンポイントの終世のライバルとなる『天馬』ことトウショウボーイとの衝撃的な出会いである。テンポイントも必死に追うけどその差は全く縮まらない。で、そのまま2着でゴール。5馬身差の完敗・・・。関西の人にしてみればまさに青天の霹靂。もしこの皐月賞の実況が杉本さんだったらすごい放送事故になってたかも(笑)。

で、気を取り直して臨んだダービー。相手は判ってる。そう、あいつ、トウショウボーイだ。こいつさえ負かせば絶対勝てる!徹底マークでトウショウボーイを倒しにいった。今度こそ・・・。しか~しである。競馬の神様は無情だった。なんと東京4歳特別でねじ伏せたはずのクライムカイザーに出し抜けを喰らう形で負けてしまう。さらに負かしにいったはずのトウショウボーイにも先着を許し7着惨敗という結果に。軽いものですがレース中に怪我してたみたい。あぁぁぁ・・・・。

夏を越して逞しくなったテンポイント。今度の大舞台は自分のホームコース、京都競馬場での菊花賞である。流石に地元で関東馬に負ける訳にはいかない。今度こそ。万全を期し、今度こそトウショウボーイを徹底マークで勝ちにいく。テンポイント陣営の作戦は、スタミナを利しトウショウボーイに先行する形でレースを進めること。そして作戦通りレースを進め、第3コーナーからの下り坂を喜び勇んで駆け下りて、4角で先頭に立った!よーし、これで勝つる!!苦手な上り坂はもうない。後は栄光のゴール板を先頭で駆け抜けるだけだー。で、大興奮の実況の杉本さん、やっぱりやらかしてくれました(笑)。

『先頭はテンポイント、テンポイントです
 それ行けテンポイント、ムチなど要らん
 押せーーー!
 テンポイント!テンポイント!!』

おぃおぃ(苦笑)、鹿戸にムチぐらいは使わせてやってくれ(笑)。でもこれには訳がある。実は鹿戸が右ムチを入れる度にテンポイントは左(外側)によれてしまってたんだ。だからムチを入れずにそのまま押せ(しごけ)と。気持ちは判るが最早実況を通り越して単なる応援(笑)。ところが、勢い良く坂を降りて来て馬場の真ん中まで外に膨らんだテンポイントとは対象的に、最内ピッタリ1mのロスもなく回って来た謎の緑のメンコの馬がいた!騒めくスタンド!何だあの馬は!21頭立ての菊花賞に21番目に滑り込んできた伏兵中の伏兵、その正体は・・・

『おっと内からグリーングラス、
 テンポイント、テンポイント
 内グリーングラス
 テンポイント、テンポイント、
 ・・・、
 1着はグリーングラスです(涙)』

これがラジオ実況だったら聞いてた人は皆ずっこけただろうなぁ。あれ?テンポイントが先頭だったんじゃあ?って感じ。テンポイントは初めてトウショウボーイに先着するも、またしても2着だった。

で、暮れの有馬記念。惜しくも2着。馬券的にはいいんだけど、2着大杉orz。もちろん3歳で2着は立派だ。でも勝ったのは・・・、同じ3歳、宿敵トウショウボーイ。(;´д`)トホホ…。3歳は大事なレースで可哀想なくらい勝てなかった。特にトウショウボーイにはね。この時点でトウショウボーイとの対戦成績は1勝3敗。

進撃編

失意の内に3歳を終えたテンポイント。関係者の『こんなはずじゃない!』って声が聞こえてきそうな結果になってしまった。年が明けて古馬となった。調教方法も変え(坂道を作ってスタミナ強化、後にこれが販路調教の先駆けとなる)、ツキも回ってきたのかここからテンポイントの進撃がはじまる。

京都記念、鳴尾記念とクビ差ですが重賞2連勝した後、春の天皇賞もあっさりと勝ち3連勝。初のG1(って言うか、昔は八大競争ってカテゴリー)のタイトル。ただ陣営は物足りない。何故なら宿敵であるトウショウボーイを倒しての裁冠ではなかったからだ。トウショウボーイは右肩不安があり、有馬記念からずーっと出走を回避していた。両者の対決が叶ったのは宝塚記念。トウショウボーイは久々のポン使いと不利な状況。今度こそ・・・。しかし勝ったのはトウショウボーイ。テンポイントはまたもや僅差2着。半馬身差。

対戦成績は1勝4敗。普通ならここで心が折れます。厩舎関係者もファンも。勝負付けは終わったって考えがち。でもテンポイント陣営は全くそう考えてなかったみたい。ここで自分達がトウショウボーイに負けを認めてしまったら、関西が関東に負けを認めるということになるからだ。弱い弱いと言われ続けていた関西の、関東に対する意地があったんじゃないかな。

夏を越して秋。京都大賞典、オープン特別に出走して快勝。有馬記念に備えて着々と準備を整える。実はこの時代、一度天皇賞に勝つともう天皇賞には出られない仕組み。春の天皇賞を勝ったテンポイントは秋の天皇賞には出走できなかったんだ。ジャパンカップなんてなかったから、宿敵トウショウボーイとの直接対決は有馬記念までない。しかもこの有馬記念を最後にトウショウボーイの引退が決まっていたから、テンポイントとしては宿敵を倒してのG1制覇の本当のラストチャンス。しくじるわけにはいかない。勝ち逃げなんて絶対許さない!

そして迎えた有馬記念。ライバルとの最後の戦い。トウショウボーイも秋3走目の万全の態勢で臨んできた。普通はね、種牡馬になることが決まってシンジケートが組まれると、怪我が怖いので目一杯仕上げてこない。でもこの時のトウショウボーイ陣営は違っていたよ。目一の仕上げだ。それは誰の目にも明らかだった。トウショウボーイ陣営もテンポイントをライバルと認めていたんだ。ライバル陣営の心意気に対する礼儀と言っていい。余裕を残しての仕上げで行ったら失礼にあたる。これが勝負の世界に身を置く男達のプライドと心意気なんだ。だけど勿論、トウショウボーイ陣営だって負けるつもりなんか微塵もない。返り討ちにする気満々。正々堂々と受けて立つ!かかってこい!

結果を先に言うとね、勝ったのはテンポイント。記録上トウショウボーイは負けたことになってますが、負けたとするにはあまりにも惜しい内容。何故ならこれが有馬記念史上に残る最高の名勝負となったからだ。僕的には日本競馬史上に残る最高の名勝負の1つだったと思っている。2012年の有馬記念の時、TVのCMに使われていたのがこの1977年(昭和52年)の有馬記念。The WinnerシリーズのこのCMにレースの全てが凝縮されている。

CMのナレーションは次の通り

77年有馬記念
その直線で過去も未来も消え去った
ただ今と今のぶつかり合う
伝説のデットヒート
戯れにもみえた!
死闘にもみえた!
その勝者の名は『テンポイント』

このコピーライターは本当に良く知っていると感心した!泣いても笑っても最後の直接対決。2頭とも死に物狂いで相手を倒しにかかってるんだけど、何故か2頭はラストランを楽しんでいるようにさえ見えた。マッチレースでもあり、ランデブーでもあった。よく気軽に『伝説』という言葉が使われたりするけど、こと競馬のレースで使っていいのは恐らくこの有馬記念とあと数レースのみ。伝説って軽いものじゃない。

さて2行目の『過去と未来が消え去った』っていうフレーズ、一体何の事だか判るかな?

テンポイントと鹿戸、トウショウボーイと武(豊のお父さん)、両者とも考えてることは同じだった。他の馬達は全く眼中にない。両者にとっては2頭立ての有馬記念。これまでの対戦成績(これが過去)も、有馬が終わった後のスケジュール(これが未来)も、今はお互い一切考えてなどいない。倒すべき相手は唯一頭。自分の認めたライバルは唯一頭。今目の前にいるそのお前を全力でぶっ倒す!ってこと。

レース開始から競争本能剥き出しの2頭のマッチレース。他の馬達を後方に置き去りにして2頭でオーバーペース気味に交互に先頭を奪い合う展開。小細工なんか一切なし。お互い力と力の真っ向勝負で相手をねじ伏せることだけしか考えていない。勝敗を分けた瞬間とか、僕なりの見解を書くことは勿論可能だ。でもそれに一体何の意味がある?このレースに解説は全くの不要、ただただレースを観れば判る。

テンポイントは、宿敵であるトウショウボーイを力でねじ伏せてのG1制覇を達成する。夢にまで見た悲願達成。ゴール直後の実況は

中山の直線を、中山の直線を、流星が走りました!

最高の名実況だと思っている。僕はトウショウボーイのファンだったけど、子供ながらにテレビの前で正座して観ていた。それぐらい神聖なレースに思えた。そしてゴール後は泣きながら勝ったテンポイントを祝福した。こんな素晴らしいレースを見せてくれた2頭に感謝した。3着には同じ世代のグリーングラスが突っ込んでくる。空気を読んで3着になるあたりがグリーングラスっぽくて最高にいい(笑)。この後、このグリーングラスの活躍でTTGと呼ばれるこの世代が日本競馬史上最強の世代という評価になっているんだ。名脇役なんだな、彼は。

ただ例えグリーングラスが1着や2着に割って入っても両陣営にとってそれは全く意に介さなかったと思う。ただレースを勝つことだけ考えれば、あんな無謀なレース展開にはしなかったはず。両陣営とも有馬記念を勝ちたかったんじゃない。ライバルに勝ちたかった、そんなレースだったと思う。

さて、トウショウボーイの引退で名実ともに日本現役最強馬となったテンポイント。最早日本でやり残したことはなくなった。さらなる強豪を求めて競馬発祥の地、イギリス遠征が決まる。ただこのままイギリスに旅立ってしまうと、日本最後のレースが中山、つまり関東になってしまう。当然関西のファンからは関西でのお披露目を切望する声が調教師や馬主の元に多く寄せられた。3歳の時に惜敗が続いても『大丈夫、次は勝てるで。気にせんで頑張れ。』って言って応援し支え続けてくれた地元関西の競馬ファン。このままでは彼らに申し訳ないと考え、京都の日経新春杯に出走することに。

いかにも情に厚い関西人っぽい話なんだけど、これが取り返しのつかない、とんでもない悲劇の始まりとなってしまう。いや、とうの昔に悲劇は始まっていたのかもしれない。クモワカからの運命の糸を辿りながら・・・

北帰編

1978年(昭和53年)1月22日。底冷えする寒い日だった。厚い雲に覆われた小雪舞い散る京都競馬場。メインレースの第25回日経新春杯でそれは起きた。

斤量66.5kg。このレースでテンポイントに課せられた負担重量である。競馬に詳しくない人にはピンとこないかもしれないけど、普通ではあり得ない重さなんだ。一般のレース(定量戦、別定戦)で斤量が58kgを超えることはない。超えるとするとハンデ戦なんだけど、ハンデ戦でも60kgを超えることは非常に稀(実はこの日経新春杯以降、ハンデの負担重量が見直しになったんだ)。現役最強馬となったテンポイントには、極量ともいうべき斤量が課せられた。テンポイントが強すぎるので、斤量を増やさないと競馬(馬券)にならないからだ。あまりの負担重量に一部のファンや調教師仲間からは不安の声が上がった。でも地元ファンへのお披露目としてはスケジュール的にラストチャンスだったので、無理を承知でハンデ戦の日経新春杯に出走したのだ。

それでもレースはテンポイントが終始先頭に立ち楽勝ムードが漂う。そして運命の第4コーナー。

『ガクッ』

それは誰の目にも明らかな異常だった。先頭を走るテンポイントが膝カックンを喰らったみたいにお尻が沈んだのである。コースを外側に外れそして競走を中止した。騎手の鹿戸は急いでテンポイントから下馬する。スタンドは一瞬どよめき、そして誰もが言葉を失った。決してあってはならないことが起きてしまったのだ。

『大変なことが起きました』

レースは続いているものの、実況の杉本さんは最早レース実況どころではない。一応最後まで実況するもその後は競走を中止したテンポイントの様子ばかり。まぁ、無理もない。多くの人がテンポイント絡みの馬券を持っていただろうけど、自分の馬券の事よりテンポイントの心配をしてただろうからね。

左後肢第3中足骨の開放骨折(折れた骨が皮膚を突き破って飛び足してる状態)。馬にとっては致命傷である。最初に診察した競馬場の獣医から、馬主は安楽死処分を勧められた。はい、そうですかと即決できるような話ではない。馬主にしてみれば家族も同じ、息子のような愛おしい存在。その薬殺処分を簡単に決断できる訳がない。結局その日は決断できず、回答は翌日にずれ込んだ。

テンポイントの骨折は大きく報道された。その日の夜のTVニュース、翌朝のスポーツ紙はもちろんだが、一般紙でも朝日新聞の朝刊が三面トップ6段抜きという異例の扱い。そして日本中央競馬会には、レース後からテンポイントの助命を嘆願する電話が数千件寄せられ回線がパンクした。ファンの多くの後押しもあり、馬主と競馬会は前例のない大手術を決断する。何と33名の獣医師からなる医師団が結成され、翌日の1月23日に手術決行。手術前の医師団からは成功率は数%との見解が出された程の難しい手術。手術自体は予定通り進んだ。ただ前例のない術式なので術後の結果は誰にも判らないでいた。

テンポイントの容体は毎日スポーツ紙で伝えらるようになった。日本中の多くの競馬ファンは、毎朝真っ先にスポーツ紙でテンポイントの容態を気にかけ、そして1日も早い回復を祈ることが日課になっていた。テンポイントのファンは勿論、トウショウボーイのファンだろうがグリーングラスのファンだろうが。関東も関西も関係なく競馬ファンの願いは只一つ。闘病生活の間に贈られた千羽鶴は50本以上、5万羽を遥かに超えた。一時は快方に向かい、みんなの祈りが天に届いたかと思われた。しかし・・・。

3月5日午前8時40分、蹄葉炎(蹄が腐ってしまう病気)によりテンポイントはこの世を去った。安楽死は最後まで行われず自然死であった。500kgあった馬体は最期は300kg程に。壮絶な闘病生活の末の最期であった。不屈の闘志で宿敵トウショウボーイに挑み続け、正々堂々と最後に勝利を掴んだテンポイントは、ライバル引退後に自らの怪我と最後まで戦い抜いたのである。そして流星の貴公子は流れ星となって、生まれ故郷の北海道へと帰って行った。

『テンポイント』という名前は新聞の活字サイズに由来したもの。10ポイントサイズの活字で記事が書かれる位の馬になって欲しいという馬主の思いからだ。実は10ポイント活字ってそれ程大きなサイズではない。普通よりちょっと大きい位。テンポイントは馬主のささやかな期待を大きく裏切り、10ポイントどころか特大サイズの活字で報道される歴史的名馬となった。ただ惜しむらくは、ライバルのトウショウボーイと同じようにその子供達の活躍でも紙面を賑わせて欲しかった。それは馬主のみならず、全ての競馬関係者、競馬ファンの共通の願いであり、夢であった。

さて、テンポイントの死後、その生涯と闘病生活を綴ったドキュメンタリーが関西テレビで制作され放映された。寺山修司の監修。彼もまた大のテンポイントファンで知られる。ナレーションはやはりテンポイントの大ファンである緒方拳。もともとはテンポイントの海外遠征での活躍を扱うはずだった番組。だがテンポイントの怪我と壮絶な最期で追悼番組になってしまったのである。番組はビデオ化されたが、『もし朝がきたら』というそのタイトルはテンポイントが最期を迎えた日の朝のこと。僕も昔ビデオ屋で借りてきて観ましたが、涙が溢れてきてしまって大号泣の大惨事だったよ。その番組の最期に緒方拳のナレーションで挿入された、寺山修司がテンポイントに手向けた詩を紹介してテンポイントの話は終わりにします。書いてて涙が止まらない。

『さらば、テンポイント』(寺山修司)

もし朝が来たら
グリーングラスは
霧の中で調教するつもりだった
こんどこそテンポイントに代わって
日本一のサラブレットになるために

もし朝が来たら
印刷工の少年はテンポイント活字で
闘志の二文字をひろうつもりだった
それをいつもポケットにいれて
よわい自分のはげましにするために

もし朝が来たら
カメラマンはきのう撮った写真を
社へもってゆくつもりだった
テンポイントの
最後の元気な姿で紙面を飾るために

もし朝が来たら
老人は養老院を出てもう一度
じぶんの仕事をさがしにゆくつもりだった
「苦しみは変わらない 
 変わるのは希望だけだ」という言葉のために

だが
もう朝は来ない
人はだれもテンポイントのいななきを
もう二度と聞くことはできないのだ

さらば テンポイント
目をつぶると
何にもかもが見える
ロンシャン競馬場の満員のスタンドの
喝采に送られて出てゆくおまえの姿が
故郷の牧草の青草にいなないくおまえの姿が
そして人生の空地で聞いた
希望という名の汽笛のひびきが

だが目をあけても朝はもう来ない
テンポイントよ
おまえはもう
ただの思い出にすぎないのだ

さらばテンポイント
北の牧場には
きっと流れ星がよく似合うだろう